ビートボクサーの誕生:学校に行けなかった彼の渾身のソロ

3月に聴きに行ったライブの会場では、主催者の計らいでTATSUAKIとのセッションが実現。河村潤哉は「緊張はしなかった」と満足げな表情を見せた=2025年3月、札幌市
3月に聴きに行ったライブの会場では、主催者の計らいでTATSUAKIとのセッションが実現。河村潤哉は「緊張はしなかった」と満足げな表情を見せた=2025年3月、札幌市

ビートボックスとの出会い

彼らは自分たちのやっていることを、ちょっとおどけて「ブンツカ」と言う。バスドラムの「ブン」、ハイハットシンバルの「ツ」、スネアドラムの「カッ」。楽曲のリズムセクションを口でまねるヒューマンビートボックスのことだ。そのプレーヤーを指してビートボクサーと言う。口蓋(こうがい)、舌、頰、喉、鼻。あらゆる器官を使った多様な音は、人間が出しているとはとても思えない。単なる楽器のコピーではない。独特のリズムを刻み、メロディーを奏で、日本でも新しいジャンルの音楽として認知されつつある。

東京の中学2年生、河村潤哉(かわむら・じゅんや)(13)がビートボックスと出合ったのは、小学6年生になる春のことだった。そのころ、学校に行けずにいた。行こうと思うと体が動かなくなり、家で過ごすことが多かった。退屈しのぎにユーチューブで、好きな釣りの番組をいくつか見ていたら、ユーチューバーの一人がビートボックスをやってみせた。「へえ、こんなことができるんだ」。潤哉は驚いた。次から次へとビートボクサーのパフォーマンス動画を追いながら、見よう見まねで「ブン」という音を出してみた。小さくてぎこちない「ブン」だったが、それが第一歩だった。

マイクを手に音を出す河村潤哉=2025年3月、札幌市
マイクを手に音を出す河村潤哉=2025年3月、札幌市

家族の支えと成長

潤哉の父親で、会社を経営する慶一(けいいち)(51)は、息子が見ている動画に引き込まれた。それまでロック一辺倒だったのに、髪形や服装までそれ風に変えたほどだ。動画を見て盛り上がる2人を見て、母・雅子(まさこ)(47)は目を見張った。潤哉が学校に行かなくなったとき、雅子は「行きたくなかったら無理に行かなくていいよ」と言った。そう言ったものの、心配は募る。デザイナーの仕事をやめてそばにいるべきかとも悩んだ。「このままずっとひきこもることになったらどうしよう」。口に出さなくても、2人は不安だった。

その潤哉が、目を輝かせている。見違えるようだった。「あれ? 今の潤哉? うまいじゃん。もう一回やってみてよ!」。家族で車に乗っているとき、潤哉がビートを刻んでみせたのに、慶一たちは驚いた。マンションのエレベーターの中や風呂場など、一人になると練習していたのだ。6年生になると、少しずつ学校に行くようになった。雅子はそんな潤哉に、札幌で行われるライブをプレゼントした。SARUKANIという有名なグループの演奏に、潤哉は度肝を抜かれた。初めて生で聴くビートボックスは「音の圧が違った」。

中学での河村潤哉。教室に置いてあるピアノを休み時間によく触って遊ぶ。学校ではビートボックスの話はあまりしない=2025年3月、東京都台東区の上野学園
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