能登半島地震を彩る写真連載「色撮」第5回から第7回

能登半島地震の被災地では、災禍の爪痕が今も残る一方で、以前と変わらない風景や文化、なりわいが輝きを放っている。彩り豊かな四季折々の景色を、レンズで追った。

(共同通信写真部取材班)

*写真と文は2025年11月までの取材を基にしています。

海青く、イルカすむ島で 石川県・能登島

陽光に輝く青い海をゆったりと泳ぐ。甲高い鳴き声を上げ、力強く尾びれを振る。石川県・七尾湾に浮かぶ能登島に生息する野生のミナミバンドウイルカ。2001年ごろにすみ着き、島のシンボルとして愛されている。

地元の島で民宿「山水荘」を営む石田直人さん(42)は、初めてイルカを見た時の感動を今も覚えている。「みんなも喜ぶはず」。一緒に泳げるツアーが人気を呼び、経営が軌道に乗った時に、能登半島地震が襲った。

津波が一部に到達し、地盤は沈下。宿は休業を余儀なくされ、夜も眠れない日々が続いた。避難生活を送っていたある日、海面を泳ぐイルカの群れが目に留まった。地震後も変わらず、悠々と動き回る姿にほっとした。

「またイルカに会いたい」―。全国から届く声に応えようと奮起した。昨年5月にツアーを再開し、観光客は少しずつ戻り始めている。だが地震で過疎化が進み、寂しさは拭えない。「ここから地域を盛り上げたい」と石田さんは力を込めた。

黄金色の稲穂、復興の一歩 二重被災の白米千枚田

黄金色に輝く稲穂が、こうべを垂れて風にそよぐ。石川県輪島市の国指定名勝「白米千枚田」が実りの秋を迎えた。能登半島地震と記録的豪雨による被災から、一歩ずつ前に進む。

1004枚の棚田が海沿いに連なる。大型の機械が入れず、耕作は手作業だ。地元住民らによる愛耕会が維持管理する。地震で約8割の田んぼに亀裂などが入り、住民らは約100キロ離れた避難先から通い、修復作業を繰り返した。

発災から8カ月後、約120枚で育てた米を収穫。喜びもつかの間、今度は激しい雨が襲い、直した田は再び崩れた。白尾友一代表(62)は「心が折れた」と振り返る。無気力、絶望。自然の猛威に打ちのめされながらも、仲間と少しずつ土を踏み固めていった。

今年9月、全国から集まったボランティアと共に稲を刈る愛耕会の姿があった。「多くの人の協力があり、やっとここまで来た」と目を細める白尾さん。作付けは昨年比2倍の約250枚。「まだ先は長い。これからです」と千枚田の復旧は続く。

伝統つなぐ白い塩 塩田村、被災乗り越え

静寂が包む晩秋の夜。白い湯気が立ち上る中、直径約2メートルの大釜で炊かれた塩水が、ぐつぐつと煮立ち始めた。石川県珠洲市の製塩所「奥能登塩田村」。能登半島地震と記録的豪雨に遭うも「伝統を絶やすまい」と職人が塩作りに励んでいる。

400年以上続く「揚げ浜式」製塩法。海からくんだ海水を砂地の塩田にまき、自然乾燥させ釜で煮詰める。粒が粗く、まろやかな甘みが特徴だ。地震で海岸の地盤が隆起し、海水のくみ上げができなくなった。水道や電気は断たれ、従業員らは市外へと離散。

一部の職人らで再開にこぎ着けたが、発災の8カ月後、今度は激しい雨が襲った。大量の土砂が塩田を覆い、釜屋にも流入。「自然の力には逆らえず、なすすべがなかった」と浜士の浦清次郎さん(57)は、ぼうぜんと立ち尽くした当時を振り返る。

再び前を向けたのは、多くの温かい声援があったから。「塩作りを続けてほしい」との声が職人たちを支えた。浦さんは「この地に続く伝統を守り、次世代につなげたい」と強く思っている。

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