牛の涙と痛みが語る心の変化 原発事故がもたらした影響

畜舎のあった所にさびたバケツがぽつんと置かれ、中には枯れ葉がたまっている。3月11日。松本信夫(まつもと・のぶお)(73)が牛と共に暮らしていた福島県葛尾(かつらお)村の土地は、色あせた草で覆われていた。
2011年の同じ日、東京電力福島第1原発事故が起き、葛尾村にも放射性物質が降り注いだ。約3週間後に故郷から避難する際、家族同然だった18頭の牛を住居隣の畜舎や、近くの放牧地のパイプにロープで縛り付けた。餌や水を与えず、殺処分するためだった。
前の晩から妻と泣いた。1人での作業中も涙は止まらなかった。牛は暴れず、おとなしくしていた。「どの牛も涙を流しているようだった。これで終わりだと分かっていた」。牛の体温。顔に感じた息づかい。あり合わせのロープできつく巻いた時の感触。それらは拭い去れない痛みとなり、身体に刻まれた。

言葉はなくても
幼少期は農耕用の牛を飼っていた。小学3年生になると牛が引く車輪付きの荷台に1人で乗り、父が働く炭焼き小屋に向かった。中学卒業と同時に実家の農業に従事し、稲作やタバコ栽培、養蚕に励んだ。暮らし向きを良くしようと、肉用繁殖牛を増やしていった。
「べーべーべー」と呼べば、離れた所にいても駆け寄ってきた。柵に挟まり動けなくなった牛がいた時、他の牛がその方向に歩き出して知らせてくれた。言葉はなくても通じ合える仲だった。
原発事故から3日後、葛尾村は全村民に避難を呼びかけた。妻や子どもを先に避難させ、自分はとどまった。牛を残せず、畜産農家でつくる地元の組合理事としての責任もあった。
ほどなくして県などとのやりとりで当時の方針として、家畜の移動は認められず、行政による安楽死はできないと聞かされた。牛を野に放せば、近隣の敷地に入って荒らす恐れがある。他人に迷惑はかけられなかった。

繰り返し見る夢
一刻も早く避難するには自分で処分するしかない。追い詰められた中での決断だった。それはこの土地で地道に営んできた農業との決別も意味した。4月上旬の朝。「作業が終わるまで外に出ては駄目だ」。所用で家に戻っていた妻に告げた。