夢を追いかける釜石の未来を照らす「傍らのひと」タレント育成の挑戦


 「C―Zeroアカデミー」の初年度を締めくくる発表会を見届け、はなむけのジャンプを披露する菊池由美子。生徒たちの活躍を祈った=2026年3月、岩手県釜石市
 「C―Zeroアカデミー」の初年度を締めくくる発表会を見届け、はなむけのジャンプを披露する菊池由美子。生徒たちの活躍を祈った=2026年3月、岩手県釜石市

 主役を目指し、東京で答えを探してきた。しかし、菊池由美子(58)は「どこにいようと、それぞれの夢を追える環境をつくりたい」と語る。彼女は、岩手県沿岸の郷里、釜石市にタレント養成所「C―Zeroアカデミー」を開設してから1年が経過した。

 近代製鉄発祥の地として発展した釜石だが、少子高齢化が進行し、15年前には東日本大震災で大きな被害を受けた。現在の人口は、1960年代のピーク時の3分の1にも満たない。「これまで芸能活動で培った技能と経験で、地元をキラリと輝かせたい」と彼女は決意を語る。

輝きに憧れ

 まばゆい光を浴び、ステージで歌い踊る2人の女性―。小学生だった1970年代、テレビに映る「ピンク・レディー」の躍動に心をわしづかみにされた。「圧倒的な輝きにくらくらした」。これが芸能界への憧れの原点である。


 発表会のリハーサルで、アカデミーの生徒たちとカーテンコールの稽古をする菊池由美子(中央)=2026年3月、岩手県釜石市
 発表会のリハーサルで、アカデミーの生徒たちとカーテンコールの稽古をする菊池由美子(中央)=2026年3月、岩手県釜石市

 高校を卒業後、都内の短大に進学し、一度は企業に就職したが、夢は諦めなかった。知人に紹介されたモデル事務所を経て、20代半ばで劇団に所属。努力のかいあって周囲に認められ、主役に抜擢された。

 しかし、自分の芝居にどうしても納得がいかず、悩み続けた。華やかに見える芸能界でも、俳優の仕事だけで食べていけるのは一握りであり、芝居を続けるために他で稼がなければならなかった。そんな一心で資格を取得し、30代でエステサロンを開業したが、予想外に客足が伸び、舞台から遠のいてしまった。

残り時間

 行く先を見失ったようなむなしさを感じていた2011年3月、巨大な津波が釜石を襲った。両親は無事だったが、身近な人たちの命が失われ、非情な現実に愕然とした。「私の人生の残り時間は、あとどれくらいだろう」と思い、未来を奪われた犠牲者を思えば、これ以上やりたいことを先延ばしにはできないと感じた。

 サロンの仕事を減らし、芸能の世界に再び身を置こうと、舞台や映画を手がける制作会社の門を叩いた。約10年かけて裏方の経験を積み、企画を統括するプロデューサーやキャスティング担当者と共に作品が世に出るまでの流れを理解した。

 演じる側にいた頃は自分ばかりが気になり苦しかったが、作る側に回ると全体を見渡せるようになり、「遠回りはしたけれど、私は誰かをサポートする方が生き生きできるんだと気づけた」と語る。

この町にも

 一方で、急速に活気を失っていく釜石が気になっていた。「私もいつか、復興の

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